怪しげな旅館の横を通過するのは70形ですね。砧線を走る70形は初めて見ました。
[2019/07/19 23:57]
URL | モハメイドペーパー #-
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お疲れ様でした 全13編に渡る素晴らしい記事、ありがとうございました。 砧線は最後まで乗らずに終わってしまいました。残念です。 旅荘ってのがあの時代を感じさせますね。 長原にもありまして、親に「旅館と旅荘はどう違うんだ?」なんて聞いた覚えがあります。
[2019/07/20 18:43]
URL | シグ鉄 #-
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モハメイドペーパーさま 車両形式は無頓着でしたが、60系と70系の外観の違いは側引き戸 でしょうか? 単車の運用ならば連結器の偏倚に関係無く吉沢附近の急カーブ 問題無いく通過ですね。
[2019/07/20 19:08]
URL | ぬか屋 #-
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doushigawaさま 「ブログ拍手コメント」有難うございました。 一度廃線跡訪ねて見ようと思っておりますが、 大きく変わってしまい撮影場所を特定するのは 難しいでしょうね。
[2019/07/20 19:17]
URL | ぬか屋 #-
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シグ鉄さま 長期にわたりお付き合い頂き有難うございました。 今と全く沿線の景色が変わってしまい元沿線に住まわれて 居た方がいらっしゃるので撮影場所を間違えてはいけないと 苦労しました。
[2019/07/20 19:32]
URL | ぬか屋 #-
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60形と70形の違い、ドアのほか、パンタ、ペンチレーターも異なります。ただ、この時代の70形はすべて連結2人乗りになっているので、単車走行はないはず。そこがちょっと引っかかるところですね。
[2019/07/20 20:01]
URL | モハメイドペーパー #-
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「たぬき」と描かれていた行先が、昔のまま右から書かれていたことを思い出します。「たぬき」が砧だったことを知りますが、砧には狸も住んでいただろう長閑な村だったことは事実です。 線路脇の電柱も、何故か垂直に立っていないものが多かったようですが、何か理由があったのでしょうかね? 経年で傾いて来たままだとしたら恐ろしい。 懐かしい記録をありがとうございました。
OER3001さま 古地図を視ると吉沢附近の河川敷に「読売飛行場」が在った様で 狸や貉も生息するには良い場所だったと思います。 画像をみると確かに電柱傾いてますね。お互いケーブルがひっぱり合って バランスがとれて居るんでしょうね。
[2019/07/22 10:05]
URL | ぬか屋 #-
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