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EbbelewiーExpress(フランクフルト林檎酒電車) |
OER3001さんのコラボ(リクスト)でフランクフルト駅前で偶然にも出くわした EbbelweiーExpress(エッベルヴァイーエクスプレス)です。
Ebbelwei(エッベルヴァイ)とは林檎という意味でアップルワイン電車として フランクフルト市内を林檎酒を飲みながら市内観光が出来る観光電車です。
 雨露を忍んだホテル前から17系統で市内中心へ。
 乗務員聞いてにフランクフルト中央駅までのチケットを購入。
 フランクフルト中央駅前で出くわした「林檎酒電車」
 後ろのアーチ形の建物はフランクフルト中央駅です。

 何編成運行不明ですが、単車とトレーラーを牽いているのと2種類運用してました。
後で調べたら当該車両は土日に運行するそうで偶々撮ったのが 土日だった様で非常にラッキーだったと思います。
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花電車 |
半世紀以上前都電荒川線の撮影で荒川車庫に寄った際 乗務員詰所でお茶をご馳走になり更には貴重な写真を頂き ました。






 「都民の日復興十周年」と在るので1955年10月1日と思います。

 周りの風景から場所を特定しようと思いましたが無理ですね。
花電車の基になった車両です。




 これ等の車両に車庫で華やかに飾り付けをし今なら ディズニーランドのエレクトリカル・パレードに匹敵するイベントで 都内を走行した事でしょう。
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横浜市電 |
半世紀前、1970年6月の横浜市電です。 相模鉄道見学会後有志で桜木町、県庁街、石川町、麦田附近で撮った廃止直前の 雄姿です。
 廃止予告の立て看板。

 桜木町電停。



 県庁街界隈。

 大江橋附近。 後ろ姿は根岸線の架橋。
 石川町附近。


 大江橋附近の船溜まり。



 石川町と麦田間唯一の隧道。 石川町側から。



 麦田電停側から。
オマケの1枚
 カメラを構えている二人は右の方がF模型製作のF氏、左は同製作所のA氏。
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鹿児島市電 |
1967年九州撮り鉄旅の鹿児島駅前でのスナップです。

 起点の鹿児島駅。
鹿児島駅付近でのスナップです。







この後 B20を観に鹿児島機関区に行きました。
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大分交通 別大線 |
1967年秋、九州に行った時の産物です。
別府温泉では敷居が高いので亀川附近の温泉宿に 泊りその近辺でのスナップです。
 重連対応の150型。
 200型。
 500型。
 100型。
 観光路線と言うより別府市街に通うサラリーマンの 通勤路線の感があります。
 150型。
 200型。 別大線の右側を日豊本線の線路が走っております。
 亀川の終点に於ける100及び200型。
亀川から別府に移り次の目的地に移動しました。
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都電25系統 (小松川線) |
都電25系統は日比谷公園から錦糸町、亀戸を経て西荒川までの路線ですが 元来錦糸町以東は城東電車が経営していたものを東京市が買収した支線 でした。
京葉道路の亀戸9丁目を右折すると「浅間前」です。 此処からは今までの華やかな街並みから一転して生活道路とも専用軌道とも つかない軌道を往きます。
 一雨降れば冠水確実な浅間前附近。 折り返し用のスプリングポイントが設置されてます。
 浅間前を出ると中川の鉄橋を渡ります。 中川を渡って来た錦糸掘車庫行きの1507号車。
 中川を渡り零メーター地帯の低地へ。


 太鼓橋の様な中川にかかる水面スレスレの鉄橋。 水は工場排水により汚くどぶ川の様でした。

 小松川3丁目方から中川の鉄橋に向かう須田町行。
 小松川3丁目-中川の鉄橋.



 下町の工場地帯を縫う様に小松川3丁目方向に進みます。

 小松川3丁目附近。


 下町の匂いがプンプンする専用軌道。
 小松川4丁目停留所。 何処が停留所か分からない程長閑です。
 西荒川ー小松川4丁目。
 西荒川に到着です。

 木製枕木を針金で括り付けた様な車止め。
 終点西荒川です。 交通局職員の通勤用の「スバル360」が懐かしいです。
 荒川土手からのスナップです。 首都高速7号線の建設工事の為立ち退きが始まった様です。
城東電車は荒川の対岸の東荒川から今井まで路線(一之江線))が有った様ですが、 ぬか屋が生れる前に廃止になりました。
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東急砧線 |
二子玉川園駅から分かれ砧本村までの2.2kmの単線で結んでいる 砂利輸送から始まった路線の様です。


 二子玉川園を出ると左にカーブを切り西に向かいます。




 中耕地附近。
 二子玉川園ー中耕地間のR246の踏切。
 中耕地に抜ける狭い軌道敷。
 怪しげな旅館が在る中耕地界隈。

 吉沢駅手前の急カーブ。
 多摩堤通りの踏切を越えると吉沢駅です。
 吉沢駅。

 野川に架かる吉沢橋を渡り砧本村へ向かいます。
今では想像のつかない砧本村界隈です。
 おばあさんが孫を負ぶって電車を見ているのが何とも言えません。


 砧本村到着です。

 長閑な砧本村駅。
渋谷から始まり二子玉川園経由で砧本村までの東急玉川線、砧線も是にて一巻の読み切りです。
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東急玉川線 ⑫ 二子玉川園 |
やっと二子玉川園に到着です。

 左は砧線、砧本村行き。

 玉川線ホームは1線の為上り列車が出るまでは停止位置で待機。


 砧線への渡り線付近を往く渋谷行。
 なかなか田園都市線とのツーショットが撮れません。
 二子玉川園駅。 左側から玉川線、砧線及び留置線で構成されています。

 多客対応時は左側ホームで降車、右側で乗車出来る構造の様です。


 二子玉川園駅を出発する渋谷行き200形.。
本線から留置線への入れ替え作業です。
 砧線の出発を待ちます。

 上り本線から砧線への渡り線に入ります。

 梃子を返し留置線に収納。

 砧線の隣の留置線で暫くお昼寝です。
 砧線のデハ60系。

 砧本村に向かうデハ65型。
次回は砧本村まで往って観ます。
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東急玉川線 ⑪ 瀬田~二子玉川園 |
瀬田の電停を出ると玉川線最後の下り坂の専用軌道を一気に二子玉川園に 向かいます。





 廃駅となった「身延山別院前」付近を下ります。
 「犬走り」は地元の子供達の遊び場の一部です。
 地下で来た新玉川線はこの辺りから地上に出て来ると思います。


 田園都市線の高架が見えると二子玉川園です。



二子玉川園に到着です。
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東急玉川線 ⑩ 瀬田駅界隈 |
用賀駅を出ると併用軌道を瀬田に向かいます。


 瀬田に近かずくと車が増えてきます。

 瀬田交差点。

 瀬田の停留所。 トヨペットクラウンのパトカーが懐かしいです。

 下り線のホームは車の走行に支障をきたす為かペイント描きです。



 併用軌道から専用軌道の坂を駆け下りると二子玉川です。
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東急玉川線 ⑨ 用賀駅 |
専用軌道を下りて来ると駅らしい駅の用賀駅です。
 用賀駅到着のデハ201.
 昭和の子供達の遊び場?

 割烹着に買物籠,時代を感じます。



 瀬田方には引込線跡が残っています。




 用賀を出て併用軌道を瀬田に向かいます。
小洒落たコーヒーショップ(アートコーヒー?)が在り一休みし瀬田方面に向かいました。
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東急玉川線 ⑧ 用賀の専用軌道 |
用賀の専用軌道を駆け下りると用賀駅です。



 33.3‰も軽快に上って往く渋谷行。


 用賀の専用軌道を半分位下ると用賀駅が見えてきます。



 線路脇の「犬走り」は地元の人の生活道路。

 ぬか屋の好きなデハ30形。
 用賀駅に到着です。
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東急玉川線 ⑦ 用賀の併用軌道 |
新町を過ぎ道路の右側に寄り民家の生け垣をかすめ土埃の上がる様な併用軌道を 進みます。

 人通りも少なく東北地方のローカル軌道の様です。

 此の辺りだと思いますが植え込みの中に50mm位の軌間の庭園レイアウトがありました。 線路の一部だけで全体が分かりませんが屋敷の大きさから可成りの線路長があったと 思慮されます。


 「窓から手や顔を出さないで下さい」


 今の用賀からは想像がつきません。






 この先専用軌道を駆け下り用賀駅に向かいます。
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東急玉川線 ⑥ 中里ー桜新町 |
三軒茶屋から道路の右側に寄って併用軌道を走行し玉電中里附近から上馬まで専用軌道に入ります。
 R246の右側の専用軌道を下って往きます。


 玉電中里附近から上馬まで専用軌道に入り快走します。
 上馬から渋谷方面を望む専用軌道。

 上馬から再び併用軌道に戻ります。
 未だマツダのオート三輪走っていた上馬交差点附近。
上馬からはR246の併用軌道を往き駒沢から先は右の旧道に入って往きます。

 R246(玉川通り)に比べ旧道だけに道幅は狭く交通量も減ってきます。
 新町の電停。


 桜新町附近。
次回は土埃のあがる右側に寄った併用軌道や専用軌道を通り用賀に向かいます。
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東急玉川線 ⑤ 三軒茶屋附近 |
三軒茶屋界隈のスナップです。

 池尻附近を往くデハ103。



 世田谷線との分岐附近。
 三軒茶屋の三差路。
 三差路(画像左上)に在る信号所で梃子を反してポイント操作を行っていました。

 世田谷線から本線に。
次回はR246を下って往きます。
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東急玉川線 ④ 大橋車庫 |
東急玉川線の車両基地大橋車庫のスナップです。

 本線からデハ70形が入庫してきました。

 最初に眼に付いたのはデハ30形です。 中央の側出入り口のステップは何時誰が操作し乗降させるのでしょうか。未だ疑問です。

 粗末な庫にデハ204と206が。
 廃車体から外した部品取り用か摺板等が野晒しに。

 デハ40、61,40形。





 自動車との物損事故の修理でしょうか?

 デハ200形のトップナンバー。
 出庫するデハ80形。
 片持ちで揚げていたと思われるリフティングジャッキ。



 模型だとバックゲージが気になるガードレール。
次回は本線に戻り三軒茶屋方面に向かいます。
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東急玉川線 ③ 大橋附近 |
道玄坂上からR246の併用軌道を往くと大橋の電停です。
 下高井戸行きの80形。


 手書きの「大橋」電停。

 二子玉川園行きの30形。
本線ー車庫の入出庫時は車両係員が誘導しています。

 車両係員がR246を止め手旗で出庫車両を誘導。



 200形が入庫して往きます。
次回は大橋車庫を見学してみます。
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東急玉川線 ② |
道玄坂上からR246に合流し大橋付近の画像です。

 200形。

 道玄坂上附近。


 大橋附近。




 路線バスを見ると時代が感じられます。
 玉川線最後の新造車150形。
 古豪の30形。
次回はR246を下り大橋車庫に寄って見ます。
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東急玉川線 道玄坂附近 |
1969年5月に60余年の歴史を持つ東急玉川線(渋谷ー二子玉川園)、 砧線(二子玉川園ー砧本村)が廃止となりました。 廃止になる1~2年前からの画像をUPしてみたいと思います。
渋谷駅での画像です。


 右は古豪のデハ30形。
 卵型のデハ200形とデハ80形
 右は最後の新車150形。



 200形のツーショット。
 左の高架は営団地下鉄渋谷車庫。
 信号所。
 30‰を登ると道玄坂上交番前交差点に出ます。


 井の頭線と営団地下鉄車庫の隙間をぬって道玄坂上に向かいます。
 渋谷駅への専用軌道に入る200形.

 地下鉄車庫の先端が見えます。

 専用軌道を出ると宮益坂上、道玄坂下方面からの道路と 合流し更に道玄坂上でR246(玉川通り)に入り二子玉川園に 向かいます。
 「渋谷三業通り」のアーチ看板。花街円山町の入口の様でこの頃は未だ 料理屋、待合茶屋、芸者置屋の三業地として流行ってたのですね。
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渋谷駅東口 |
OER3001氏の記事(東横線渋谷駅 http://vse50001.cocolog-nifty.com/2018/12/post-399a.html)に触発され1968年渋谷駅東口の画像が有りましたのでコラボしました。
 渋谷駅からは明治通りを天現寺橋方面に往く34系統、 青山通り(R246)を新橋方面に往く6系統、新佃島方面の9系統 須田町方面に往く10系統がターミナルを形成してました。
6、9,10系統は青山車庫先の宮益坂上ー渋谷駅間は時計回りのループでの 折り返しでした。
 宮益坂をR246を下りて来ると渋谷駅前に。
 渋谷警察の角。 上に向かうのが明治通りの34系統天現寺橋方面。



 渋谷駅から宮益坂を右折して宮益坂上に向かいます。
 宮益坂ー宮益坂上間のループ折り返し。

 日本石油のY路を時計周りに左に往くと渋谷駅。
 ループを過ぎると6、9、10系統の管轄の青山車庫が在ります。 今は国連の関連施設が在り車庫の面影は全く在りません。
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豊橋鉄道 市内線 |
豊橋鉄道の市内線は東田(あずまだ)本線が正式名称で今は豊橋駅前ー赤岩口と 後に井原ー運動公園を開業した併用軌道の路面電車です。ぬか屋が訪れた時は 新川から分岐した柳生橋支線が在りました。


 新川から分岐した柳生橋支線を往く モ3704(元名古屋市電1200)
 モ3105号車。
 モ3107号車。

 モ3105号車。
 モ3107号車。
 モ3103号車。
静岡鉄道にも「デワ1」が在ると言う事で国道1号線を清水に向かいます。
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広島電鉄 |
1968年広島駅前で広島電鉄のスナップです。
 2系統宮島口行きの450形

 6系統150形
 6系統 江波行き150形。
 単車が多い中ボギー車の750形
 パンタ装備の550形
 車号からして新しい2001形
このあと機関区に行ってみました。
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大久保車庫界隈今昔 |
新宿角筈界隈今昔の続編の13系統大久保車庫界隈の今昔です。

 明治通りの新田裏(新宿6丁目)を右折すると抜弁天まで専用軌道です。

 右側の高層住宅が車庫の跡です。


 大久保車庫跡は都営東大久保住宅と新宿文化センターに変わっております。



 新宿方、抜弁天方どちらからも入出庫出来ます。
 場所柄旅館や医院の看板が目立ちます。















 抜弁天を過ぎ河田町へと進みます。
庫内を撮影させて頂きました。


大久保車庫には既にアップしましたが面白い車両が在籍しておりました。


 配給車兼貨車の乙1002と花電車用の4号車。
快く撮影させて頂き現場の休憩所でお茶をご馳走になり良き時代でした。
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新宿角筈界隈今昔 |
1970年頃の歌舞伎町界隈の「今昔」です。


 新宿から11系統(日比谷公園ー銀座ー月島方面)、12系統(市ヶ谷ー九段ー須田町ー両国方面) 13系統(三光町ー大久保車庫ー飯田橋ー秋葉原方面)の3系統のターミナルでした。

 右側が歌舞伎町の入口にあたります。




 センターラインも植込みになり、横断歩道の位置も変わり更には建物が替わり同じ位置の特定が難しいです。
 今と比べ暗い歌舞伎町前です。



 大久保車庫への短絡戦。 伊勢丹の北側辺りで「角筈」と云う電停が在り短絡線は遊歩道になっております。

 重厚な5000型。


 11、12系統は、三光町の先を右折し新宿三丁目方向へ。
 13系統は三光町を左折し明治通りを新田裏へ向かいます。
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GINZA SIX |
銀座6丁目松坂屋の跡地に大型商業施設GINZASIXオープンしました。 1959年撮影された銀座通りの画像と今を比べて観ました。
 GSIX(旧松坂屋)

 58年前は服部時計店の時計台が4丁目のシンボルとしてハッキリと確認出来ますが 今では周りの建物で建物の一部しか観えません。 又、車も少なく何処でも横断しております。
 都電の部分をアップしてみると形式は確認出来ませんが、 4丁目交差点を頭に5両程詰まっております。

 松坂屋の向かいの「小松ストアー」。都電は6000形。 テナントビルになっており「ユニクロの看板が目印」という事を4丁目の交番の お巡りさんに教わりました。

 3丁目の「松屋」前。都電は6000形。 地下鉄入口に有る横断幕に「3月15日 丸ノ内線全通」と在り この年の3月に新宿まで開通した事が解ります。
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岡山電気軌道 |
40数年前の岡山駅付近の画像です。

 国鉄岡山駅前のターミナル。 山陽新幹線の高架工事中です。

 元秋田市電の1000形。


 元呉市電の2000形。 バックに映っている「岡山劇場」は、映画館と言うより夜になるとおばさんが踊る様な劇場です。
 元呉市電の2600形。




 元東武日光線の3000形。
 「石津式」と呼ばれるパンタグラフ。 元社長の石津さんによって考案されたとの事で「石津式」と呼ばれ バネでなく錘の重量で上昇させる方式でです。
元呉市電の2500形と元名古屋市電の3800形は遂に来ませんでした。
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アーカイブ都電の無蓋車両 |
ネガをスキャンしていて面白い車両を見つけました。 撮影は、1968~70年荒川車庫、神明町車庫、大久保車庫です。 職員の方々に親切に対応して頂き現場の休憩所で お茶等ご馳走になった事が思いだされます。
 神明町車庫にて。
 乙100型の乙102号を改番し花電車用に使用した様で書き直した 旧番号の乙102が透けて見えます。 改番して花1となった思います。


 台車は、2軸単車です。
 花1は鋼製ですが、大久保車庫の4号車は、全面が木造でした。
 乙1000型 の乙1001号車
 神明町車庫にて。
 大久保車庫にいた乙1002号車。
 配給車兼貨車でブリルのボギー台車を履いております。
 荒川車庫の乙1型の乙2号車 乙1000型と同様配給車兼貨車ですが、台車は2軸単車です。 乙2号車は現在神明町車庫跡の公園で保存されております。
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都電 高田馬場、面影橋、早稲田界隈今昔 |
ネガを整理していたら40数年前(1967~68年)頃の15、32、39系統 が出てきました。 この頃この近所に居たので、講義が休講で早く下校するとアルバイトか、都電の写真撮りを してた様な記憶があります。 偶然、6月8日は「路面電車の日」だそうで、今と比べてみました。

 高田馬場駅前は、ロータリーとなり地下鉄東西線の入口とBIGBOXが出来ました。

 高田馬場早稲田口。

 早稲田通り現高田馬場1丁目付近。
 映画館だけは当時の面影を残して居りました。

 明治通り、戸塚2丁目付近。 1968年頃廃止になった102系統(池袋ー渋谷ー品川)の トロリーバスの架線が残っています。

 明治通り、戸塚警察署付近。 此の先を右折し、32系統(現荒川線)と合流します。
 32系統との共用軌道から分岐し、明治通りに出る15系統。

 32系統の通過待ちの15系統。 歩道のY線の右が線路跡の様にもみえます。
 明治通りから右折し32系統と合流。

 面影橋から見た15系統と32系統の分岐付近。
 線路脇の犬走りは住民の生活道路です。

 明治通りと目白通りの交差点。 線路脇の民家が立退き整理され、専用軌道の両側に2車線道路になりました。


 目白通りは区画整理され40数年前と同じアングルでの画像は難しいです。 当時の大正製薬は煙突から見て町工場の様でした。
 32系統は、王子電気軌道の生残りの150、160、170形が健在でした。




 面影橋停留場付近はご覧の通り草生しておりました。 杉並線から転入してきた2000形。





 面影橋付近は文字どおり昔の面影はありません。





 早稲田停留場。 当時の面影はりそな銀行(旧協和銀行)位です。




 早稲田停留場。



 元王子電気軌道 164号車。
 元王子電気軌道 176号車。
 元王子電気軌道 162号車。





 高戸橋から学習院下、鬼子母神前の沿線は、上り・下りで停留場が移動したり 建物が替わっておりますが、車両を除いて昔の面影を残しております。
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