|
|
|

木曽森林鉄道 ④ |
上松貯木場から車で上がって来たものの停車場の名前も判らず、撮影場所が 特定出来ない画像ですが並べてみます。


様々な車両が観られました。

 運材車だけでなく、作業関係の物資も搬送して居ります。







 営林署の職員を乗せ更に上って往きます。
 有名な理髪車は切り離され構内の一画で電源を引込み職員の福利厚生に寄与して居りました。
廃止になる直前の1974年に訪れた時の画像で撮影場所が停留所名等無く特定出来ないのが 悔まれます。
30数年後、奈川方面から塩尻に抜ける際、藪原地内で懐かしい車両に出くわしました。

 藪原の役場等の施設の在る処で、近く行かれた際は見学して観て下さい。 直ぐにでも走りそうでした。
|

木曽森林鉄道 ③ |
理髪車を組成した列車を先回りして追いかけを始めました。



 木曽川を挟んだ国道側で待機して居るとのんびりと登って来ました。


 車で先回りし、二子待(?)で「みやま」を迎える事が出来ました。

 空の運材車も到着。


 待機していた材木満載の運材車に機関車を付替え。

 木材満載の運材車は上松貯木場に向けて山を降りて往きました。
次回に続く
|

木曽森林鉄道 ② |
1974年に訪れた時の上松貯木場のスナップです。
 留置線の運材車。
「編成」のヘットマークを付けたガソリンカーが構内を走り回って居りました。
 酒井製 8ton


 大型機より扱い易い機関車なんですね。
更に小さいモーターカー。
 トロッコをセット。

 入替え作業。

 酒井製の10ton機関車が稼働し始め「理髪車」等を繫ぎ始めました。


 作業中の方に確認したら此れから山に往くとの話なので先回り する事にしました。
次回に続く
|

木曽森林鉄道 ① |
懇意にさせて頂いているblog仲間の方からリクエストがあり、1972年と1974年の 唯撮っただけの木曾森林鉄道です。
 木曾森林鉄道といえばボールドウィンの機関車。 此の位置からしか撮れませんでした。
 国鉄の上松駅から歩いて来る途中先ず眼にした2両の留置客車と貨車。
 構内配置、記憶無く説明出来ませんが、運材車の留置線と其の奥に倉が在り、 SL等収納されて居ると思われます。


 山から切り出されて来た木材。
 貯木場の片隅に留置されて居た積み降ろし用の重機。
車号等は不勉強で確認出来ませんが留置されて居た車両です。



 有名な移動床屋さん。

 山で働くお父さんに差し入れでも届けるのでしょうか。
[次号に続く]
|

天理軽便鉄道 |
諸々整理をしていたらご先祖様が撮ったと思われる画像が出て来ました。
 メーカー、形式不明の単端式のガソリンカーです。撮影場所不明なるも 昭和11年と裏面に記されておりました。
バックに映っている「法隆寺名物 聖徳モナカ」を手掛かりに奈良で在ろうと推定し 法隆寺付近の軽便鉄道を探したところ「天理軽便鉄道」がヒットし 「Nuka Pedia」で調べてみました。
 天理軽便鉄道路線図(赤線)
関西本線の法隆寺駅附近の新法隆寺駅と桜井線の天理駅間に1915年開業した のが始まりの営業キロ数9.01Km、軌間762mmの軽便鉄道で蒸機で開通しました。
1922年大阪電気軌道(近畿日本車両)に買収され、平端ー新法隆寺間を法隆寺線、 天理ー平端間を天理線とし天理線線は改軌(1,435mm)、電化しました。 1928年単端式ガソリンカーを導入。
法隆寺線は1952年廃止となり天理軽便鉄道も幕を閉じました。 天理線は近鉄天理線として稼働しております。
|

山形交通 DB151、ハフ1、2 |
協三工業製の15トンクラスのB型DLで1970年尾花沢線廃止後は日本通運で使用 された後、西武所沢工場の入替え機として稼働しました。
 山形交通時代のDB151。
 西武所沢工場で稼働する入替え機時代。 塗装はセイブレッドで、台枠をゼブラ塗装。
DB151が西武に譲渡される何年か前 ハフ1、2の2軸客車も譲渡されました。
 1967年12月小手指検車区に留置されていた、ハフ1、2
 ハフ1.
 ハフ2
ハフ車は傷みが激しく車号不明ですが、1両は解体、 残りの1両は台枠のみを当時保谷に有った鉄道係員養成所の 庭(保谷検車区の裏)に教材としてE12,SL5号機と共に保存しておりました。
DB151は上記から20数年後の某年某月所沢工場から某所へ 搬出されました。


 最後に記念撮影し静かに見送りました。
|

伊予鉄道譲渡車両 |
OER3001さんが伊予鉄道の想いでをアップされました。 1975年2月にぬか屋も出張した時の画像が在りましたので コラボさせて頂きます。
 1975年2月伊予鉄道形モハ133-サハ511-モハ134編成の最後の サハ511が西武所沢工場を出場しました。 旧車号は京王帝都デハ1402⇒伊予鉄道モハ133 京王帝都デハ1802⇒伊予鉄道サハ511 京王帝都デハ1403⇒伊予鉄道モハ134
 国分寺経由での出発を見送ります。

 伊予鉄道到着に合わせ先に送ったモハ133とモハ134とで3両編成に組成し試運転立会いです。
試運転終了後庫内でのスナップです。
 100系のモハ102 種車は不明です。
 元西武鉄道のクハ1154のクハ412
 元西武鉄道のクモハ1153のモハ114
 元相模鉄道のモハ2015、モハ2016、モハ2013の モハ131-モハ132-クモハ431の編成と思われます。

 モニ30の構内牽引車 2軸台車に凸型の乗務員室を載せた可愛い車両です。
試運転納車も終了、市内に出て見ました。



 ご存知「坊ちゃん列車」
 市内電車、もっと撮った筈ですがネガが見つかりませんでした。
 ここで一風呂浴びて夜の街へ出掛けました。
|

猛暑に涼を感じる |
1969年1月のスナップです。
 花輪線の8620形で吹雪いており一瞬の晴れ間に龍が森で撮った画像です。
 花巻電鉄の花巻駅です。 天気は良くありませんが、車庫で「馬面電車」を収めたり鉛温泉まで 楽しんで来ました。
梅雨明け直後の猛暑で茹だりそうですが、此の画像で 少しは「涼」を感じていただければ幸いです。
|

内部・八王子線 ② |
近鉄四日市駅から二つ目の日永駅から分岐し西日野駅までが日野線で 以前は伊勢八王子まで運行してましたが、1974年の集中豪雨で西日野ー 伊勢八王子間が運休となり、そのまま1976年に廃止、八王子線は 西日野ー日永間の一駅となってしまいました。 日野線と日永駅界隈の画像です。
 伊勢八王子方が廃線になり100m程日永方に移動した西日野駅。
 仮設ホームの様な。西日野駅。




 珍しい単機運用のモニ213号。

 日永ー赤堀間の鹿化川橋梁。



 三角な日永駅。内部線上り列車。
 四日市行八王子線上り列車。
 八王子線下り列車。 八王子線は乗り換えの利便性を考え右側通行の様です。
 内部線、八王子線の分岐。
 日永駅、内部線下り列車
 内部線上り列車。



天気は良くなかったですが、長閑な日永駅とその界隈でした。
|

内部・八王子線 |
近鉄内部・八王子線は四日市から日永経由で内部までの内部線と 日永から分岐し支線扱いの伊勢八王子までの線区が在り総じて 内部・八王子線と呼ばれていました。
私が訪れたのは、1976年で八王子線の西日野ー伊勢八王子間は 1974年の集中豪雨で運転休止からそのまま廃止になった直後で 八王子線といっても日永ー西日野間1駅だけでした。
先ずは内部線から観て行きたいと思います。

 終点の内部駅。
 四日市からのⅯⅯ編成が到着です。
 終点の内部には、車両区が併設されております。
 車両区事務所でヘルメットを借用し構内を見学させて貰いました。
 近鉄グループとしてのプライドを保つ為、マルーンの塗色で手入れも好く綺麗な車両です。
細かい車号は不明ですが、100番代が付随車、200番代が電動車両の様です。






 ラッシュ時間帯が終わると付随車は暫く八王子線の車両も一緒にお昼寝です。


 泊駅での交換。




 日永ー赤堀間の橋梁。
次回は1駅だけの八王子線に行ってみます。
|

近鉄北勢線② 西桑名ー阿下喜 |
1976年近鉄の異端児ナロー路線を訪れました。 近鉄としては三重交通の湯の山線を買収したかった様ですが、 三重交通としては良い所取りされては叶わないので利益のない 北勢線と内部・八王子線をセットにして譲渡した様です。 近鉄になっても赤字が続き、後年三セクと三岐鉄道に経営移譲しました。
西桑名駅脇に車庫があり事務所で撮影許可を貰い、ヘルメットを 借用し撮らせて貰いました。
 車庫全景。 車両は左側からサ202、モ222、サ146、サ141. 右端に見えるのが西桑名駅のホーム。
 サ146号、元三重交通サ2006号。
 元三重交通のモ4400形でカルダン駆動の連接車。 200形は電装解除されトレーラー化されて居ります。 モハメイドペーパーさんが1965年に撮られた200形とはイメージが大分違います。
 留置線の先端でお休み中のサ150形。
 モ227号車。
 元三重交通の71号 残念ながら45号機関車は倉の中でぐっすりと寝ておりました。
北大社駅交換風景です。(Reload)
 西桑名行。
 阿下喜行きが入線。
 北大社駅での交換。 先に阿下喜行きが発車。

 遅れた女性客を待ち西桑名行きも出て行きました。

 側線に留置された貨車。 砂利輸送も可成り前に終了した様です。
麻生ー阿下喜間の沿線画像です。






 上笠田ー麻生田 の山田川橋梁を往くサ200形を牽引するモ220形.
 阿下喜の留置線でのモ220形.225号車。 北勢線では、モ220形が牽引車としてサ130,140、150、200形を 2~3両で組成し運行しています。
次回は内部・八王子線に行ってみます。
|

近鉄北勢線 北大社駅 |
ブログ仲間のシグ鉄さんの「北勢線ボッチ旅」とのコラボで半世紀以上前1976年の 北大社駅です。
 西桑名行きが入線。
 交換の阿下喜行きと交換。
 遅れて来た女性を待って出発して往きました。
其れから18年後の1994年に出張した際北大社駅傍に車両区がで来ていました。。


 長閑な北大社駅の面影もない詰らない構内です。 北大社駅は2005年統合に依り廃止され車両区への信号所になったとの事です。
2016年の北大社駅跡。 [ シグ鉄さんのブログより借用]
シグ鉄さんのブログの画像と比べ変電所(?)の鉄塔だけが変わってないようです。
|

野上電鉄 |
日方駅(紀勢線の海南駅が最寄り駅)から登山口駅(11.4km)の 地方鉄道で1976年訪れました。。
 野上電鉄社紋。
 本社社屋。
 日方駅。
日方構内は留置線が在り廃車体も含め多種多様な 車両が留置されております。



 富山地方鉄道依り購入した軌道線のデハ5000形。 ステップを取りスマートなデ10形となります。
 クハ100形 クハ104号車。
濃い緑に黄色い帯の旧塗装からクリーム色に赤という新塗装に塗り替えの過渡期でした。
 モハ20形 23号。
 幕板に明り取り窓が残されています。
 クハ100形 102号車。
 雪も降らないのにトンガリ帽子をかぶった尾灯が可愛いモハ20形 26号車。


 前面5枚窓の20形 24号車。
 道が並行して走っているので車で追っかけしました。


 日方から登山口まで長閑に運行しております。

 終点の登山口駅。
車両は阪神からの譲渡車両で占められ、Zパンタグラフを採用し塗装替えを する等頑張っておりましたが、1994年廃止となりました。
|

上信電鉄 |
上信電鉄には2機種4両の機関車が在籍していました。
ドイツのシーメンス・シュケルト車より購入したデキ1形3両と 元国鉄のED31形のボンネット部を箱型に自社改造工事 をしたED316が1両です。
デキ2は1995年廃車、デキ1は2017年漏電に依る火災で抹消され 現在はデキ1形はデキ3のみ在籍しております。
 シリアルナンバーが記されたデキ1の銘板。


 デキ1。
 デキ3。

 ED31形。
 デキ2+ED316.
 ED316。 国鉄からの車号をそのまま引き継いでいます。
|

弘南鉄道 |
西武鉄道から弘南鉄道へ譲渡された車両です。
 モハ1122号車。 元国鉄戦災復興車で西武クモハ328号車です。
 モハ2231号車。 大元は武蔵野鉄道デハ5553号車で西武モハ233号車。 何れも平賀駅です。
1960年代から1970年代始めの頃は武蔵野鉄道時代、戦災復興車等 西武鉄道経由で面白い車両が地方鉄道では活躍しておりました。
|

一畑電鉄 |
1982年頃西武鉄道から一畑電鉄へ譲渡車両です。
 旧西武クハ485ークモハ456⇒一畑クハ181ーデハ81の編成。
 デハ81-クハ181。
 旧西武クモハ452ークハ1487⇒一畑デハ82-クハ182の編成の試運転。
 一畑 デハ6。
 一畑 デハ3。
一畑電鉄の旧型車両も撮っておりました。
|

保存車両 |
ネガ整理中森林鉄道の車両が出て来ました。
 藪原地内の木祖村観光協会だったか木祖村郷土館に保存されておりました。 運材車も連結しており場所からして木曽森林鉄道で稼働していた車両でしょう。
 25年位前、友人数台で4WⅮ車で林道ツーリングの途中で撮影した車両で 場所も失念及び正体不明ですが、何処かの森林鉄道で活躍していた車両と思います。
|

木曽森林鉄道の操重車 |
青春Ⅿさまのブログ(青春Ⅿの鉄路回送)に木曽・上松で撮られた 「変なモノ」、小生も見た様な気がしHDDをチェックしたら木曽森林鉄道の 貯木場で同様な車両を収めておりました。
 1974年4月上松の貯木場にて。 型式は不明ですが国鉄が「ソ」なので木曽森林は「キソ」で いかがですか。
アームも国鉄の物よりはるかに華奢で総重量も軽そうで運材車から 木材を降ろす際、旋回するとひっくり返ってしまいそうです。 足回りを撮り損ねたのが悔まれます。
|

総武流山電鉄 甲種回送 |
西武鉄道の廃車になったNRAが富山地方鉄道に譲渡回送されたとか、 9000形がワンマン改造多摩湖線で運用を開始したとか騒がしいですが、 総武流山電鉄としては1994年8月に初めての冷房車両を導入した時の 回送時のスナップです。
種車は西武の1803Fを総武流山電鉄車号のクモハ2001-2002です。


 E31型に牽かれ南入曽車両管理所一旦収容します。
 回送日当日、小手指車両管理所経由で新秋津に。
 新秋津到着。
 待機していたJR貨物のELにバトンタッチ。
 出発を見送り馬橋に先回りします。

 南越谷のターミナルでDLに付け替え馬橋に到着。
 鉄道用品馬橋工場脇の側線で総武流山電鉄に 引き渡されました。
 到着翌日復元工事を行い機器の動作確認、 空ンッチ試験、ブレーキ試験等行い、本線試運転です。

 本線試運転を終え納車となります。
|

東野鉄道 DC201 |
東野鉄道のDC201は元津軽鉄道のDC20形で 廃線後西武鉄道所沢工場に搬入されました。
 1963年 所沢工場にて。
 1973年5月 所沢工場。
 1975年5月 所沢工場。
L型の入替え機に改造され無番のまま暫く構内に居たものの 何時の間にか姿が見えなくなりました。
|

クラウス17号 |
1969年閉山した北海道の明治鉱業昭和炭鉱から陸路トレーラーで 池袋の西武百貨店に輸送展示され競売に掛けられました。
 国鉄時代のナンバープレートに「形式10」付いた17号







 つい今まで走行していたかの様に石炭や油の匂いがしました。
オークションに掛けられ個人の方が落札された様ですが、その後所有者も変わり 現在は栃木県那須烏山で保存されている様です。
|

頸城鉄道 |
過日(4月1日)UPした井笠鉄道に続きⓀでお馴染みの 軽便蒸機が在った頸城鉄道です。
訪れたのは1969年の春で蒸機が廃止されて3年後になります。


 直江津の頸城鉄道自動車の本社前に程度好く保存されて いた2号機。 この後西武鉄道山口線で稼働するとは夢にも思っていませんでした。
訪れた時は、新黒井ー百間町、飯室ー浦河原間は廃線となり 百間町ー飯室間(5,9km)で細々と営業しておりました。



 田園地帯をのんびりと往くホジ3.
 明治村駅。 沿線で一番渋い駅でした。
 ホジ3と明治村駅。

 廃駅となった新黒井駅。

 オープンデッキのハ6客車.。
 ニフ1.荷客車。 新黒井駅に置き去りにされた車両達。

 長閑な百間町駅。 ホジ3と後ろには増結用の客車。
 右側の建屋は百間町駅に隣接する機関庫兼修理工場。
いろいろお話しして居たら車庫の中の車両を全て出して頂き 撮る事が出来ました。
 ロータリー除雪車のロキ1。
 ラッセル除雪車のラキ1。.
 ホハ5。
 左からホハ5、ラキ1、DC92。

 DC91。
 DB81。
 お世話になった頸城鉄道の方々。
コッペル2号機は1972年国鉄長野工場で検修し西武鉄道山口線で稼働する事 になります。
 西武鉄道山口線に入線した頸城鉄道2号機。
|

井笠鉄道 |
訳あって50年程前の井笠鉄道と頸城鉄道の画像が必要になり ネガを漁り急遽デジタル化しプリントアウトしました。
井笠鉄道を訪れたのは、1970年3月、全線廃止となる1年程前の 春休みでした。
 山陽本線笠岡駅。
 解かりやすい井笠鉄道の社紋。

 笠岡から一つ目の「鬮場」に車庫が在ります。
鬮場車庫での画像です。

 長閑な風景が広がる鬮場の車庫。


 倉の中には3両のコッペルが保存されておりました。 一番奥に在った程度が良かった1号機が後に西武山口線で稼働する事になります。
 面白い台車を履いています。
 デッキ付のホジ7号車か9号車。

 ハフ車牽引で活躍していたDLのホジ3.



 鬮場での交換。


井川までの沿線風景です。











 終点の井原です。 廃線後の跡地活用の下準備が行われている様です。





 ホハ12号の手摺が洒落て凝った作りです。


1971年廃止後西武鉄道に1号機関車は貸出し客車8両は譲渡され 西武山口線で運用されました。
頸城鉄道は後日アップ致します。
|

ひたちなか海浜鉄道 |
勝田車両センターまつり終了後あんこう鍋賞味を賞味することなく阿字ヶ浦から ひたちなか海浜鉄道で勝田に戻りました。
 阿字ヶ浦に留置されている廃車体。
 彼方から下り列車が。

 那珂湊での交換。11-7のキハ11形。
 味のある機関区。中にはキハ11形。
 ミキ300形。
 形式が解るキハ205。 あとは不勉強で解りませんでした。
 派手な塗色の02、キハ3710。
 暗く、寒くなる中30分程構内をうろつき勝田に戻りました。


 タイミング好く5分程で優等列車に間に合い車中グッスリ寝て帰宅となりました。
「ときわレール倶楽部」の皆さんありがとう御座いました。
|

箱根登山鉄道 |
箱根登山鉄道で旧型車両がリタイヤする事が話題になっている様で ネガを整理していて1970年の古い画像が有りましたのでアップしてみます。
スイッチ・バックの大平台駅附近での画像です。


今回廃車になったモハ1形のモハ103及びモハ107号車。 モハ103-107号車が固定編成だったかは不明です。
 モハ103号車。
 モハ107号車。
 モハ107号車。
大平台でのスナップです。








2009年お風呂に入りに箱根行った際たまたま撮った画像です。 ベルニナ線の氷河特急の塗色が目立っておりました。
 1000形「サンモリッツⅡ号」とモハ108号。
 2000形「サン・モリッツ号」。
 強羅駅にあったレイティシュ鉄道から贈られた友好の証。
 レーティッシュ鉄道ベルニナ線アルプ・グリュム駅に掲げられている箱根登山鉄道から贈られた額。



ぬか屋にとって箱根登山鉄道の車両と言うとモハ1、2、3形ですが、辛うじて 撮って有りホットしております。
|

静岡鉄道 長沼車庫 |
静岡鉄道清水線の長沼駅に隣接して長沼車庫が在ります。

 長沼には乗務区があるのか乗務員の交代も観られます。
 350形。


 主力1000形。
 シルバー塗装の300形。




 屋外での塗装剥離作業。 ハンマーで叩き全て剥離する・・・・気が遠くなりそうです。
 構内入替用の20形。
 車庫構内。
 350形。
 市内線の55形。 登録抹消廃車寸前でしょうか

 お目当てのデワ1。 リンク式連結器にバッファーを装着し塗装も褪せておりますが 静態保存の様です。
|

大井川鉄道 |
清水に向かう途中新金谷に寄り道しました。



 到着して直ぐに眼に入ったのが廃車車両です。


 「急行すまた」


形式等不勉強の為スナップとしてご覧下さい。




 AL製の「しらさぎ」
時間に追われていた為速やかに撤収し清水に向かいました。
|

豊橋鉄道 |
1974年5月関西圏からの帰路電動貨車が観たくて寄ってみました。

 渥美線
新豊橋ー柳生橋間の花田貨物駅で国鉄との貨物の受渡しを行っております。


 デワ10形電動貨車。 現役で入換機として活躍して居りました。
 デキ200形。
目的の電動貨車を観られ満足して市内線を観に行きます。
|

静岡鉄道清水市内線&静岡清水線 |
静岡鉄道駿遠線撮影の帰り際静岡鉄道清水市内線と静岡清水線に寄って来ました。
清水市内線は港町ー横砂間(一部単線専用軌道)4.6kmの路面電車で 1975年3月に廃止となりました。


 港町電停。
 67号車の側面広告。

 1両だけのノーシル、ノーヘッダーの車両。 駿遠線501号DLとよく似ています。

 万世町付近。
 集電装置。
 新清水電停付近。
 東海道本線をオーバークロスし新清水電停へ。 静岡清水線への引込線(連絡線)が左側に観えます。
 新清水電停。
 引込線に1両留置されております。
 静岡清水線の新清水駅。 ここにも1両留置。
愛染ー横砂間は単線専用軌道を、西久保から東海道本線と並走しております。


 途中で見つけた立看板。 67号車の腰板の広告は未だおとなしい看板です。





 庵原川を渡る市内線。 バックに東海道線。

静岡清水線も時間があったので観て来ました。





 巴川鉄橋。

 長沼車庫。
 塗装も剥離剤を使わずハンマーで叩いて剥がしておりました。
 デワ1。
此の頃は未だ構内でフル稼働していた様です。
|
|